kaizeの部屋

ツイッターからはみ出た日記

見る専の話

モードな服を見るのは昔から好きで、着るというより見るのが好き。メンズファッションはウェアラブルだが自由がない。いや、メンズでも自由なデザインというのは別に出来なくはないのだが、それを美しいと思えるのかどうか。歴史や文化や慣習なのか遺伝子に組み込まれた何かなのか。個人的にはウィメンズの美しさには到底届かないと思う。というか、メンズがウィメンズと同じ土俵で語れるものでもないというか…言葉にするのが難しい。

 

先程言った歴史的文化的な背景によるファッション観からか、メンズの俺は自分が着飾ることはなんだか違うと思い、また機能や細部にこだわるメンズファッションにのめり込むことはなかった。最低限、醜悪なものを晒さぬよう多少の努力(体型を整えたり、時代性のない服を着ないとか)はするが。

 

もし、自分が女性でモデルのように体型に恵まれてどんな服でも着こなせるのであれば、また違った人生があったかもしれないが、届かないものに対する憧れや羨望がなくなってしまうかもで、モチベーションが続くかどうかは謎。

 

前にも書いた、学生の頃見ていたファッション通信の影響でそうなってしまって、自分が着るより美しい服を女性に着せたいという欲求から今に至るのだが、現実とはうまくいかないもので、商業ベースのリアルな服を生業とするに至っている。

 

まぁ、自分が理想とするまでの美しい服を作れているとは言い難いが、喜んで着てもらってる人がいるというだけでもそれはそれでいい仕事だなとは思うが。

 

何を美しいと思うかは人それぞれでしょうが、俺は今のジェンダーフリーとか多様性の世界は半分納得していない。

 

単に性別や人種での差別を無くしより良い世界にするというのはわかるし賛同もするが、美しさの定義を無理やり多様性に結びつけないでいただきたい。

これまでの虐げられてきた歴史は認めて新しい世界に移行するのはいいが、美の基準にそのカウンターを当てないでほしい。罪はそこじゃ無い。

さまざまな体型や人種の多様性を許容するのは頭ではそうなのだろうと思っても心が乖離していっている感覚がある。

 

このご時世、男性らしくとか女性らしくとか、化粧やヒールの靴を強要するなとか根本的にしょうもない。そういうのはジェンダーの話ではなく小さなコミュニティーの人間的な問題だろうし。なんか意図的な悪意すら感じる。どうしてもそこに持っていきたがる風潮は嫌だ。

 

まぁ、完全にファッションとして性差を良しとせず、正義を装った復讐の為の世界になってしまったら俺は引退して無人島で過ごしますよ。そんな俗世に価値を感じられない気がするし。

 

ほんと内容が無い日記で恐縮だが、このような風潮は好きなものを好きと言える世界への過渡期であって欲しいなと思いました。

 

それでは😌