kaizeの部屋

ツイッターからはみ出た日記

教育の話2

前回のつづき。

 

なんでこんなことを書こうかと思ったかというと、ツイッターで以下のようなツイートが流れてきたからである。

 

原文は削除されているが、”専門学校に行ってもその業界に就職するのは15%程度”という内容のものだった。

 

その数字に関しては、専門学校だけが悪いわけでもなく、業界の問題も多くある。まぁ、俺はファッション業界のことしか知らないので、ファッション専門学校に関しての話になるが。

 

俺が通っていた専門学校は地方の名もしれない小さな専門学校だった。

前回のブログで書いた通り、大学の4年間で学生が貯めれる学費なんてたががしれてる。確か、俺の場合かき集めて400万程度だった。まぁ、服もずいぶん買っていたし本気で貯めればもうちょっといけたかもしれないが、ファッションの道に進みたいのに服を1着も買わず生活するのも本末転倒というか、ちょっとくらいいいだろ...みたいな感じで散財していたのでその程度の額だった。

それと、専門学校に行ったらバイトなどせず勉強に時間を割きたかったので2年間そのお金で生活できる場所をと考えると選択肢が乏しかったのもある。

 

けど、今になってはバイトしてでも有名な専門学校に行くべきだったかなと後悔している。なぜかというと、学生の意識の差があると思う。地方の小さな専門学校だったので、花嫁修行がてら(今では絶命していると思うが当時はそのような人も少なからずいた)に入学する人。行ける大学がなかったから入学する人。家政科のある高校から自然に入学する人。まぁ、本気でファッションをやろうという人はあまりいなかった気がする。

ちなみに俺は大卒だし試験の成績も優秀で、何しろバイトもせず学校の他に洋裁教室にも通っていたからそこそこ優秀な生徒(その専門学校では)だったかと思う。

 

しかし、あくまでその学校での話。もし都市部の有名専門学校に行っていたら揉まれて消え得てなくなっていたかもしれないリスクはあれど、ファッションとは何かをもっと早く気づいていたのかもしれない。

 

ファッションとは何か。これはいろんな解釈があるが、作る側にとっては表現力と新しいものを生み出す力、想像力だと思う。縫製技術、パターンの知識、服飾の学問、いろいろあるが、基本的にファッションデザインに大事なのは表現力と想像力の素地で、その上にそれらの技術や知識や経験を持って完成されていく。

 

あんまりこんなことを言ってはいけないが、いくら縫いが上手くてもパターンが正確でもファッションの歴史について博学でも表現力と想像力が備わってないと抜きん出ることは難しい。そういう意味ではそれらを持ち合わせている奴らが集まる環境でないとファッションをやるには何か足りないのではと感じてしまうのである。

 

思いのほか長くなってしまったので続きます。

(久々にPCで文字打ってるがやっぱスマホよりこっちの方が書きやすくて無駄な文章を量産してしまいそう)

 

続く^_^(絵文字の出し方がわからん)