先日、保育所に通ってる息子の退所式があった。
正確に言えば、『修了を祝う会』というのらしいが、普通に卒業式でいいじゃん?みたいに思うが今はそう言わないらしい。
俺はスーツを着て仕事してないので、このような機会にしかスーツを着ることはない。もちろんネクタイを締めることもない。
当日、着慣れないスーツを着てちょっと思った。「こういう時ってネクタイした方が良いのかな?」
ネクタイは成人式の時に買った一本と、20年前に会社の先輩から借りた(そのまま借りパクした)2本、親父の葬式の時に親父のクローゼットから拝借してその時使用した、葬式用ネクタイしか持ってない。
そして、確かここ10年はネクタイを結んだことはない。
結び方もよくわからない。ファッション業界にいるのにネクタイ結べないなんてある?って言われそうだが、男性の伝統的な装いに興味がないから仕方がない。
少し悩んだ挙句、結局ノーネクタイで出席した。
まぁ結び方わからんからな。
他所のお父さん方はみんなネクタイを締め、ビデオカメラを手にしていた。俺だけノータイのブラックスーツでせめてスマホで動画撮ってるフリをしてた。(ちゃんと写真も撮ったよ!ウチの息子かわいいし)
やっぱいい歳だしネクタイくらい締めないとなと思った次第。
ネクタイで思い出すのですが、昔親戚のおじさんがいつも派手なネクタイをしていた。
趣味が悪いなぁなんて子供心に思っていたのですが、どうやら派手なネクタイをしてれば話のネタになることらしい。つまり、他人を楽しませるために派手なネクタイをしていると。
それはわからなくはないな。自分らしい装いというのは意外と他人からの印象で気付くことも多い。
自分が作ったイメージなのに、それを受けた他人のイメージに引っ張られるというか。
そしてそのイメージを裏切らないように自分から合わせていくところはある。派手なネクタイをしている人というイメージが付けばそれに応えようとさらに派手なネクタイを。ということだろう。
〇〇さんらしいネクタイ、〇〇さんらしいファッション。それはいつしか自分が好きなファッションから、他人が期待するファッションになってしまう。かもしれない。
個人的にはファッションは自己満足だけでなく他人を思いやるものだと思っている。他人が期待する自分を演出する。だからそうなるのは自然なのかもね。
ただ、あまり他の人の期待に応えようとしたり、楽しませるとこに傾いていくと、それが本当に好きだったのかわからなくなるかもしれないなとも思う。
それこそ、自分が求める反応を他人から得られなかった場合、その親戚のおじさんのようにどんどん派手になっていき、それがオシャレなのか悪趣味なのかわからなくなっていく。
多分、その親戚のおじさんはおしゃれとかもはやどうでもよかったのかもしれません。いつも変なネクタイをしているおじさんと認識され、イジってくれれば満足なんだろうと。
ファッションは他人を楽しませる思いやりの文化ではあると思いますが、想定する反応が得られなくても、他人の反応に依存しすぎて自分を見失わないように。かと言って「別に人のために服着てるわけじゃないし」と卑屈にならないように。
自分の好きなファッションと他人の自分へのイメージの接点、そしてそれを良い意味で裏切れる度量を持ち合わせた大人の装いを目指したいなと思った次第。
やっぱファッションって社会性の中で成り立つ文化だよな。だって一人だけネクタイしてなかったから恥ずかしかったもん。
まぁ、俺にネクタイ意地でもしないおじさんというレッテルを貼られていれば成り立ったかもしれんけど、そんな印象も期待もされてないわけだし。
まずはネクタイの結び方からかな…😌