今年何買ったかなーなんて思い出してます。
この時期になるとベストバイなんて感じでツイッターなんかでも自分が買って良かったものを紹介したりしてて「みんな色んなもの買ってていいなー」とか思いながら見ています。
買ったもの。あえて言うならハバーサックのセットアップは服らしい服だったかな。まぁ、3回くらいしか着てないからベストバイとは言い難いが。
あとはUAで買ったカバーオールとかトゥモローで買ったカーディガンとかコモリのシャツとかズボンとかAPCのデニムとかオーラリーのトレーナーとかニューバランスのスニーカーとかソロヴェアーの革靴とか。他にも多分まだあるけど至って普通の服しか買ってないな。
服好きの方からすればユニクロみたいな服ばっかだなと思われるかもだが、まぁ多分普通の人よりはこだわって買ってるとは自分では思ってる。
安物には無いシルエットや素材なんかには敏感で、「こういうのは作りにくいし意外と無いんだよな」みたいなのは流石にわかるしね。
けど、なんていうか自分を装うことにはさほど興味がないという自覚は持っている。
誰しも若い頃は何者でも無い自分を装うことで自己表現するもので、自分はこれが好きだ、こういう人間だということに熱心なものだとは思う。
その表現によって仲間を作り、時に異性と付き合うきっかけを掴むかもしれない。
大人になるにつれ、交友関係は固まっていき環境に変化がなくなると自分が何者かを表現する必要はなくなっていき、仕事や他の趣味などに興味が移っていく。それは自然な流れで、その生き方の中のひとつの彩として装いが存在するものだと思っている。
それでも、装いを偏愛し追求できる人もいるし、自己表現にはとどまらないファッションに多くを捧げる方もいらっしゃる。
ただ、俺はその偏愛の素養は無かったように思う。
そもそも、根本的に子供の頃から自分を装うことにはあまり興味はなかったなと感じるほど。
どちらかと言うと、ずっと美しいものを見ていたい、なんなら作りたいというのがファッションに自分を繋ぎ止めているのだと思う。自分が着たい服を作ろうとか思ったことはあまりないし。
一応こういう仕事なんで変なものは着たくないし、酷い服を着るのは自分が許せないし、信用なくしますし。人前に出る時はそれなりに一生懸命考えて服をめちゃ探しにいく。体型にも多少は気にしてる。だがそれ以上では無い。
もちろん、潤沢に資金があればもっと服を買ってその趣味を楽しんでいるかもしれないし、裏を返せばそれが出来ないからモノづくり(仕事に)傾倒してるのかもしれんが。
ともあれ俺は人が服を楽しそうに着てるのを見るのが好きだし、買った服を自慢してる様子を見るのも大好きだ。
ツイッターで自撮りを見るとすぐいいねを押しちゃう。ともかく、ファッションはこの世で最も美しいものの一つだと思う。
服はそのものの造形の美しさもさることながら、色んな性質の性格の人が着てこなしてかたちになる。同じでも同じじゃない。んで時代を写す鏡みたいな部分。物質的と精神的な部分が合わさって魅力的。
何言ってるかよくわかりませんが、ともかくファッションを楽しんでる様を見るのが非常に好きなんだよなってことです。
それではまた😌