つい先日、スペースでファッション哲学を研究していらっしゃる方と少しだけお話ししました。
俺は今でこそ全くと言っていいほど本を読まないが、学生の時は有り余る時間を使って、ファッションに関する本を沢山読んでいた(ような気がする)
とは言っても、鷲田さんの本とかそれに影響されてロランバルトの本とかアンホランダーの本とか、比較的有名な本ばかりだったので、本当の哲学者(スペースで出てきていたマルクスやサルトル)まで読んだいたわけではなく、なんていうかお遊び感覚だったのは否めないが、若気の至りでなんとなくファッションのことがわかったような気がしてたというのはある。
今では内容なんてほとんど覚えていないんですが。
スペースで話聞いてた時は名前を失念していたが、深井晃子さんの講演会も行った事がある。
手をあげて質問するような真面目な学生であったなと、その時の情熱を懐かしく思うまである。
程なくして、補欠としてアパレル会社に入ることとなり(専門学校の学長がお願いして無理くり入れてもらった)なんか、俺が学んだ事全然使わねーなと思いながら仕事をしていた。
アパレルにとって、顧客に買っていただける商品を作る。それは体を綺麗に見せるデザイン、着心地の良いパターンそして服として高いレベルの素材を使ったり、作ったり。それを商業ベースで売れる価格にして出す。そんなことを考えるのが精一杯でいつの間にか、そのようなファッション学問の知識はただの趣味なんじゃないかと思うようになっていた。
ふと、たまにファッションの書籍を本屋で見かけ、立ち読みしてみると、あいも変わらずギャルソンなどの御三家から脈々と続く、国産デザイナーズの話や海外モードブランドの考察や世の中に与えた影響などが書かれていて、ふむ、やっぱり俺には必要のない学問なんかななんて思ったりもしてた。
確かに、デザイナーズが作る造形的な意味、社会的な意味、ジェンダーやファッション的な常識を打ち破ろうとする活動は素晴らしいとは思う。もしかしたら、意識はせずとも回り回ってその影響を受けてるのかもしれないし。
ただ、今現在7兆円ほどのアパレル規模においてその中心は語られているのか、その大半はユニクロはじめとする量販であり、百貨店アパレルであり、今でこそYouTubeから始まるブランや韓国のファッションの影響は無視できないほど大きくなって、その文化的背景や産業的背景がどのようになっているのか、そこにこれまで研究し尽くされてきた哲学や社会学や経済学、そして日本のファッションの文脈とどう関係性があるのか、そういう事が正月の暇さ加減も相まって気になってたところで、スペースを聞いていた次第です。
こんなんわかるわけないし、因果関係なんて多分ないとは思うが、もしかしたら俺が知らないだけでもうその繋がりは明らかにされてるのかもしれないですけどね。
まぁ、モードを芸術とするならばアパレルは商業活動であってそこには着るという行為だけの薄い繋がりしか存在しないのかもしれないし、一言でファッションと言えど、芸術、人間工学的、社会学、経済学そして文化風習や宗教まで様々な要素の影響下にあるほんと複雑で深い分野だとは思う。
浅学な俺がいうのもなんですが、それを一括りに繋げるのは意味がないとしても、その中において何か実用的なレベルに落とし込んだでファッション学が広まってくれれば、日々アパレルで四苦八苦してる俺に有用なんかなと思ったりしました。
それではまた😌